naui 50周年 ANNIVERSARY No.6 高橋 哲二

naui 50周年 ANNIVERSARY

連載第6回目は、ダイビング器材メーカーに長年勤務し、そこで培った知識、
技術を活かし、初期のNAUI JAPANの教材開発やITCの講義で貢献いただいた、
高橋哲二氏(#4307)です。


当時のダイビングスタイルです。 ウェットスーツは両面スキンのかぶり、ライフベストとダブルタンクのいでたちで。(73年 伊豆海洋公園)

「NAUI50周年を迎えて」

2010年は、NAUIが誕生して50周年、NAUI JAPANの誕生から40周年という節目にあたる記念すべき年となります。比較的新しいと思われるスクーバダイビングの歴史の中での50年という年月は、とても大きくNAUIのメンバーの一人として誇りに感じます。
この記念すべき年を迎えるにあたって、私とNAUIそしてダイビングとの関わりについて、思いつくままを述べさせて頂きます。


NAUIとの出会い

私とNAUIとの最初の出会いは、38年前の1971年に遡ります。この年、私はNAUIの基礎コース(Cカード)という現在のスクーバダイバーコースを受講しました。これが私の初めてのダイビング体験でした。
この時、大学生であった私は、漠然と、好きな海で何か仕事が出来ないものかと考えておりました。たまたま海の雑誌で、ダイビングの記事に目が止まり、これなら仕事として今から始めてもこの道の先駆者になれるのでは、と思い付いたのです。かなりいい加減な動機でした。
NAUIが「日本安全潜水教育協会」として日本でスタートしたばかりの当時、基礎コースは主に協会の主催で、定期的に各地で開催されていて、個人開催のコースは非常に少なかったと思います。
当時、NAUIのインストラクターはまだ僅かで、NAUIの認定ダイバーも少なかった為、今では考えられませんが、ITC認定者とCカードの認定者全員が載った、りっぱなNAUIの名簿が協会から発行されていたことを覚えています。


ITCの合格記念撮影。チームリーダーの小林保彦インストラクター(#2879)と。(75年)

職業としてのダイビング

NAUIのCカードを取得した私は、ダイビングショップと作業潜水を営んでいるNAUIの先輩インストラクターのお世話になり、ほどなく作業潜水の仕事に入りました。しかし、当然のことながら潜れるだけで仕事が出来る訳はなく、戸惑うことばかりで甘い考えを反省しました。さらに当時の潜水作業は、現在のような安全体制が確立されておらず、劣悪な環境下での作業も多く、潜水事故が頻繁に起きている状況もあり、2年ほどで作業潜水をあきらめ、某ダイビング器材メーカーへ入社しました。
入社後、器材の知識など無かった私ですが、いろいろな器材を目の当たりにして器材への興味が募り、急速に器材の知識を習得して行き、その後、器材のメンテナンスなど技術サービスの業務を任されることになりました。
そのころ、取引先の漁業関係者からダイビングの講習の依頼が良くあり、会社からインストラクターの資格を取ってみてはどうかと話があったため、1975年、NAUIのITCを受けることになりました。


ITCの思い出

当時のNAUIのITCは、年1回のみの開催であったため、満を持して全国から腕に自信のある個性豊かなダイバー達が伊豆海洋公園に集結してきました。

ITC終了後の打ち上げで、NAUI JAPAN のスタッフとして参加されたパオロ・クエルゾラ氏と談話。(75年)

しかし、ITCは連続10泊11日間という長期にわたるコースで、ギッシリ詰まったスケジュールは、体力的にも精神的にもかなりハードなもので、経験豊かなツワモノ達もだいぶ勝手が違い苦労している人もおりました。
学科では、連日、実践的な口述テストが行われ、また、NAUIのメンバーであった東京医科歯科大学の一條尚教授(当時)による潜水医学、早稲田大学理工学部の山根雅巳教授(当時)による潜水物理学の講義など、今思えば、他では見られないアカデミックで充実した内容のコースでした。

実技では基本的な泳力、技術などを重視したものが多く、400m水泳、800mの3点水泳、15mの素潜り、10m連続3回の素潜り、富戸の港から海洋公園までの3点遠泳や、3点セットでのベイルアウトなど、技術、体力を駆使したきついトレーニングも多々あり、今では良い思い出となっております。

勤務先メーカー(当時)のアメリカ本社へ技術研修時、本社スタッフと休日にカタリナ島(カリフォルニア)へ息抜きのダイビング。(76年)

ただ、当時からITCでのこのようなハードな体力的トレーニングは意味がないとの批判を、外部の人だけでなくNAUIの中でも良く聞きました。私はこのような批判は違っていると思います。勿論、私も体力が絶対的なものとは考えていませんが、本来、トレーニングとは、体力や技術の限界を見極め、自分の能力が現在どのくらいのレベルであるかを認識することが目的であると考えています。つまり、海という厳しい環境下では、トレーニングによって、常に自分の技術、体力などの限界を認識した上でその範囲内で活動ができるかが非常に重要なことになります。どんなに技術、体力があっても自分の能力範囲を超えてしまえば、緊急事態には対処できません。この認識がないままインストラクターになっても安全なダイバーを育てることはできないと思います。この点を踏まえ考えれば、NAUIのトレーニング内容は理にかなったものだったと思います。


80年頃の講習風景。BCはまだホースカラータイプが主流。(伊豆海洋公園)

私の仕事とNAUI

NAUIのメンバーとなって、私は器材メーカー勤務の傍ら、講習を開催していましたが、インストラクターは本業ではないため、数多くの講習はできませんでした。私は別のかたちで、何かNAUIに貢献できないかと考えました。1978年頃から80年代前半にかけては、NAUI JAPANは大きく変わりつつあり、NAUI のメンバー皆が熱い想いを持ってNAUIをさらに大きく育てようと必死に頑張っている時でした。そこで私はITCのコースディレクターとして参加し、自分の専門である潜水器材についての講義を行ったり、マニュアル作りの際も器材に関する部分を担当するなど、少しは貢献できたと思っております。この頃、私は理事も経験しNAUIと一体感を持って活動ができ、とても充実した時期であったと思います。その後、別の器材メーカーに移り、さらに1986年に自ら器材メーカーの会社を立ち上げ現在に至っておりますが、この間、一貫して器材のメンテナンスや取説作り、器材セミナー、メンテナンス講習など、技術サービスの仕事をしてきました。しかし最近特に気にかかることは、インストラクターやショップ、ダイビングサービスのスタッフの器材、特にレギュレーターやBCなどの基本的な構造や扱い方についての知識が低下していることです。

最近は、海から遠ざかっていて、休日はもっぱら里山巡り等でバードウォッチングやウォーキングに励むことが多い。

これは、器材について教える人材が不足していることや、与えられた器材をそのまま工夫無く使っていることなどが原因のひとつであると考えられますが、インストラクターやそれを目指すダイバーであれば、もっと自分から進んで器材について勉強してほしいと思います。勉強する材料はまわりにいくらでもあるのです。
余談になりますが、器材メーカーにいて良かったことは、常に新しい器材や情報がいち早く手に入ることです。今誰もが使っているBCジャケットの元祖である通称スタビを日本で最初に使ったのは私でした。シリコン製のマスクやパワーインフレーター一体型のオクトも日本で使用した第一号です。これらはまだどのメーカーも作っておらず、私が勤務していたメーカーが初めて作り出した商品であったため、日本で発売する前に私が全てテストすることができたのです。他にもこのように日本で最初に使用した新商品は沢山あります。


最後に

NAUIの記念すべき50周年を前に、残念ながら、世界的不況の中でダイビング業界は低迷を続けており、未だ明るい兆しも見えてきません。この状況を打破するためには、今こそNAUIに奮起してほしいと思っています。50年の歴史は伊達ではありません。NAUIにはその力があると信じています。

#4307 高橋哲二