naui 50周年 ANNIVERSARY No.1 田口 哲

連載第一回目は、40年前、単身アメリカに乗り込み、NAUIを日本に導入した、
田口 哲氏(NAUI INSTRUCTOR #2163L)です。


68年。LAカウンティのインストラクターを取得して帰国後、久しぶりに爪木崎で仲間とダイビングを楽しんだ時の私。当時26才。

「NAUI創立50周年に寄せて」

NAUI・JAPANは1970年に日本で最初のインストラクター・コースを伊豆海洋公園を舞台に開催し、日本でのNAUIの活動がその時から正式に始まりました。私はまだ若年ながら当初からその代表として責任ある立場に立たされましたが、設立当初は、やがてNAUIが世界的な組織に発展することなど予想だにしていませんでした。
私は1967年にアメリカへ潜水留学し、当時アメリカで最も充実していると言われたロスアンゼルス・カウンティ潜水教師協会のインストラクター・コースに参加し、その資格を取りました。
当時のアメリカはケネディ大統領の元、人類が月面へ旅するアポロ計画が始まった時で、日本もあらゆる分野で先進国アメリカに学ぼうとする意欲に溢れていました。こうした中、当時の海洋開発ブームにのって、帰国後すぐに日本で始めた基礎スクーバ・コース(通称ブルーカード・コース)は思いの他盛況で多くの受講生を集めました。レジャーのダイバーだけでなく、水中作業を伴う報道関係者、学校の教師、建設関係者、漁業関係者等も、受講する様になっていました。

ダイバーボート船尾のロバートDスコールズ氏。私の左手側はホーマー・フレッチャー氏。70年。

このためインストラクターの数を増やして、さらにダイバー人口の増加に拍車をかけようとロスアンゼルス・カウンティに交渉しましたが答えは「NO」でした。それもその筈、ロスアンゼルス・カウンティ(以下ロスカン)はロスアンゼルス市の市役所の中にある公園とレクリエーション課に事務局がある協会なのでカリフォルニア州以外に協会を拡大する意図はなかったのです。
そこで当時、協会のスポンサーであったジャパン・クレッシィサブ社はNAUIに白羽の矢を立てました。

伊豆海洋公園で開催された第1回NAUI-ITCの様子。左側に事務局長のアーサー・オーリック氏と会長のベン・デイビス氏。中央にはスコールズ氏の姿が見える。70年。

その時、私の潜水留学中お世話になった恩師でロスカンの役員でもあった故ロバート・D・スコールズ氏は親友でNAUIの理事でもあったホーマー・フレッチャー氏に協力を依頼し、米国NAUIの本部に交渉して日本でインストラクターの養成コースを開催して、日本に支部を設立するきっかけを作ってくれたのです。
こうして日本で始めてのインストラクター・コースはNAUIの会長と事務局長、スコールズ氏の外人トリオの監督と指導の元に開催されました。

そしてこの頃、ロスアンゼルス・カウンティの基礎スクーバ・カード取得者をNAUIのカード取得者と差別しない様に「日本潜水教育協会」も設立されていました。(会長は故田中栄之助氏)

富戸漁港の斜路で準備中の受講生とスタッフ。BCはライフジャケットで、タンクはリザーブバルブが主流だった。70年。

第1回のインストラクター・コースですが、当時はまだ、BC(スタビ等浮力調整ベスト)は普及しておらず、全員救命胴衣(炭酸ガスのカートリッジで膨らます)を着用して望むコースでした。又現在の様なイブ・コンピューターはやっとサンプルが輸入された程度で、一般のダイバーには殆ど使われていませんでした。潜水深度と潜水時間は「米海軍の標準減圧表」を順守しました。
さて肝心の、米国NAUIの潜水講習会のカリキュラムは「最低これだけはやって下さい」と記述されたマニュアルなので、英文のマニュアルを見た限りでは一見非常に簡単に思える内容でした。そこで理想的でハイレベルな講習をめざし当初のNAUIインストラクター・コースのカリキュラムにロスカンや日本のこれまでの潜水協会が採用していたやや難しい種目も取り入れ、特に実技の面で、他のどの協会に移ったとしても恥ずかしくない様な最大公約数的講習内容に組み換えました。

72年。伊豆海洋公園での第3回ITCの受講生とスタッフ。左から2人目に故一條尚東京医科歯科大学教授の姿がある。彼は潜水医学を担当してくれた。

この結果少なくても私が代表をしていた9年間はNAUIが日本で最も充実した内容の潜水教師養成コースだったと自負しています。
たとえば水泳が得意であっても、海で数回しか潜水経験がない者がインストラクターに合格してしまわない様に配慮したのです。海には潮の流れもあり、大きな波もあります。又、危険な生物だっています。十分な海洋ダイビングの経験がなくては安全な潜水の指導が出来る筈がありません。

1年に1回しか開催されないこのコースは簡単に合格して指導員資格を取得出来ない狭き門でしたが、当時のメンバーは安全潜水を広めるため信念を持っていました。
ダイビングは医学、科学、化学、機械工学、海洋生物学等の必要十分な基礎知識を持ち、健康な肉体と強い精神力を要求されるハードなスポーツです。
特にインストラクターは次世代のダイバーを育てる責任があります。
たとえば安全な潜水を指導する立場上、自分が何度も減圧タンクの世話になる様なダイビングをしてはならないことは言うまでもありません。

68年、LAカウンティITCの卒業パーティ。写真に向かって左側からグロリア夫人とスコール氏。私の左手側はスクリップス海洋研究所の有名なダイバー、ジムスチュアート氏。

心あるインストラクター諸君には今こそ目を醒まして欲しいのです。
これまでの自分の指導には間違った点がなかったか?もし事故に関係してしまったことがあれば、そのとき何が欠けていたか本気になって反省して改善して欲しいのです。
私は幸運にも講習中の事故は一度も起こさないで済みましたが、その孫やひ孫の代で、かなりの死亡・傷害事故が報告されており心が傷みます。

以前NAUIのインストラクターコースを受けた作業ダイバーが東京湾で行方不明になって捜索に加わったときなど、悔し涙が止まりませんでした。

イタリー大使館勤務の故パオロ・クエルゾラ氏は優れたスキンダイバーだった。
神子元島から稲取沖までバディを助けて40kmも漂流したが生還している。語学力にも優れ堪能な日本語と英語でNAUIの本部との連絡もボランティアで担当してくれた。

しかし一方ある映像制作会社のカメラマンが取材中にヘリコプターに乗ったまま湖に落下した事件がありました。しかしなんとか脱出して九死に一生を得たそのカメラマンが「田口さんの講習の時マスク無しの潜水でしごかれたおかげです」と聞かされたときにも何故かうれしくて目頭が熱くなりました。
今後器材の進歩や改良も進み、益々多くのダイバーが生まれることでしょうが、潜水の事故を無くし、安全にダイビングを楽しむ為に、今何をしなくてはならないのか、真剣に考えて見ましょう。

インストラクターを卒業した私は現在海ばかりでなく川や湖の生き物を撮影しています。これからも精進して生涯現役のダイバーを目指し、安全潜水の哲学を基本に頑張ろうと思っています。

NAUI(#2163L)田口 哲